2018年03月12日

bleu eyelash NEW OPEN!

当blog初の快挙!いや、惨事?失態?悪態?(笑)

前回のblogがなんと10月1日あせあせ(飛び散る汗)

間もなく半年放置になるところでした。でも、病気だったわけでも遊んでいたわけでもありません。

激動の半年間、失踪、いや(笑)疾走してました。

前回まつエクブース増設なんて書いてから、ほどなくして準備に取り掛かり、なんと2月にまつエクサロンをOPENしました。

eyelash-TOP.jpg

bleu hairから徒歩2分かかるか?緒形の足だと大股で100歩!至近にまつエクサロンはあります。

hairとまつエクの店舗は近いので、今まで一部いらっしゃった、髪の毛とまつエクの同日施術の場合は担当アイリストがhair店舗に出張してくれます。

また、まつエク店舗がエレベーターなし3階の為、足の不自由な方や妊婦さんもhairのブースで施術が可能です。

というわけでblog放置していた言い訳以上!(爆)
posted by オガタ at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | bleuの歴史

2016年10月31日

物件さがしのおもひで

最近よく読んでいる大河内さんのblogにトラックバック!

ってか、今時トラックバックってあるんですかね?(滝汗

大河内さんも書かれていたように、僕の独立時も物件探しには大変な思いをしました。と言っても、当時の僕はと言えば、大河内さんとは違う大変な思いでした。

僕の場合、独立前に勤めていた&長年住んでいたという理由から出店は町田一択でした。

というよりも、実は、独立を決めてから物件探ししたのではなく、物件に出会ってしまって独立を決意したのでした。

当時勤めていた町田の美容室があった繁華街、一等地とは逆の町田の寂れた方(笑)にその物件はありました。

毎日のように通るその物件の前。ずーっと空きのままなんですが、何度も前を通っていたある日突然に「ここで独立しよう!」と思ったのです。というか、思い付いた(バカ

直ぐに張り出してあった不動産屋に連絡し内見。大家さんにもお会いし「別に貸してやってもいいよ」と内諾。これ、本当にそんな感じの大家さんでした(^^;)

程なくして当時の勤務先に、年末の繁忙期を過ぎ、成人式が終わった後の退職を申し入れ了承を得たのです。駅裏とは言え同じ町田内での独立だったので顧客には伝えず辞める旨も了承の上でした。

ところが、僕がお客様に「緒形さんが辞めた後どこに行くか教えて欲しい」と言われた際のやり取りを社長が聞き、勘違いされ「今月いっぱいで辞めて!」と宣告されました。急遽店を辞める事になったのです。
(行先を教えて欲しいと仰るお客様に、本当は連絡取るつもりないのに「決まったらお伝えしますね」と嘘を言ったのですが、見事に勘違いされました・・・)

完全に予定が狂いました。年明けの1月過ぎに辞める予定がその2ヶ月以上前に無職に。

ならば出店を急ごうと、動き出したのですがそれからが産みの苦しみスタート。

思い付きで飛びついた物件との契約をのらりくらり渋られ。そして最終的には「やっぱ貸さない」の一言で振り出しに戻るという。これ、本当に気分はすごろくの振り出しでした。

ゼロから物件探し、ようやく見つけた新築物件。出来たばかりのピカピカの物件。

DSC00007.JPG

その物件も大家さんに正直振り回されました。「入りたいなら企画書とか出して」と言われ、それまでそんな書類の作成経験もなかったのですが、必死に作成。

さらに、郵送ではいかん!との思いで、大家さんのご自宅へ直々に配達!!

そして無事に・・・とはいきませんでしたー。

つづく
posted by オガタ at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | bleuの歴史

2014年04月26日

15年

本日4月26日はbleuの誕生日

お陰様で15周年を迎えることができました。

ここまで続けてこれたのも、ご来店下さるお客様、bleuスタッフ、取引業者の方々、そして家族のお陰です。誠にありがとうございます。

お客様への恩返しは、良いスタッフを育て、良い仕事をしていくこと、それに尽きると考えています。

本来であれば、一人一人のお客様に直接御礼を申し上げなければいけないところですが、こちらにて御礼に代えさえて頂きます。

これからも、bleuスタッフ一同お客様の為に頑張って参ります。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

bleu代表 緒形勝彦
posted by オガタ at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | bleuの歴史

2009年04月26日

10年間ありがとうございました

10年前の今日、4月26日にbleuがオープンしました。あれから10年とはとても思えず、つい先日のことのように思えてしまいます。

皆様のお陰で10年間やってこれました。本当にありがとうございます。

10周年を迎えるにあたり、何かしなければいけないんじゃないかと考え、悩みに悩みました。
数年前は「10周年はクラブでも借りて」とか妄想は色々ありましたが、考えれば考えるほど現実的ではありませんでした。

悩んだ末、結局何もせず、ただただお客様の為にこれからできることを淡々と精一杯やっていこうと思いました。

実は10年やってきた自負がありません。同じく、美容師をもう23年ほどやってきたことも妙に実感がありません。醒めているわけでもないのですが、だからどうということも正直ありません。
もちろん自信や誇りがないのではありません。かといってキャリアそのものを誇る気など毛頭なく、むしろその間どれだけのことができたのか?そのことのほうが頭から離れません。
実際に昨年秋頃からは、何かしらリセットする為に一度閉店してしまおうかとさえ考えました。それも非現実的でしたが。

いやいや、そんなおセンチに浸っている暇はないのです!今日来てくださるお客様に綺麗になっていただく。元気になって、笑顔でお帰りいただきたい。それだけ、その為に今日もいつもどおり、これまで以上を目指してスタッフと一緒に頑張っていきたいと思います。

繰り返しになりますが、本当に10年ありがとうございました。そしてこれからもbleuスタッフ一同どうぞよろしくお願いいたします。

bleu代表取り締まられ役 緒形勝彦
posted by オガタ at 09:05| Comment(10) | TrackBack(0) | bleuの歴史

2009年03月13日

bleu史8

bleu史7より再開です。と言っても、最初の5年とその後では濃さがかなり違う気が。まあいいか(笑)
思い出すために書いています。僕がbleuの今までを思い出して、これからのことを考える為に書いているbleu史です。どうぞおつきあいください。

さて、bleu好調な売り上げの時期を過ぎ、一気に全てが下降しはじめたあの頃。Sのパニック障害発症。療養して仕事をセーブすることになったS。Sを守りたかった僕とは裏腹に、S2とIは様々な怒りを増していっているようでした。

当時のスタッフ、ここまでの書き方では僕、とS、S2、Iばかりしか書いていませんが、もう一人実はいました。それがKです。S2やIよりも年も若く、Sや僕への不信もないと思われていたK。しかし、KもSの病気については懐疑的でした。
普通に考えたら分かりそうなことなのに。幾らなんでもパニック障害を装って仕事減らすだろうか?
Sのことは前の職場で20歳くらいから知っていましたから、例え夜遊び激しくても、だから仮病使ってどうこうということは僕には理解できなかったのです。どんなに朝まで遊んでも、仕事には出さないタイプだったので。
でも、あらためてこうやって書いていると、僕だけがなにか思い違いしていた気がしてきます。あのごたごたはなんだったのでしょう。

ほどなくしてS2はbleuを辞めます。S2仕事は一生懸命やっていました。練習も頑張っていました。bleuではモデルを100人カットしないとデビューのテスト受けられないのですが、本当にS2は頑張っていました。モデルから顧客になってくださった方も多かったです。そんなお客様にS2はよく手作りのアクセサリーをプレゼントしていたりもしました。
今改めてS2の頑張りを思い出せるのですが、当時の僕は評価してあげていませんでした。もっと褒めてあげれば。もっと評価してあげたら?今ならそう思えるのですが、当時はそういうところをうまくできてなかったのです。

頑張っても評価されない、そんな店いたくないですよね。S2が辞めていきました。でも、僕はS2と何かしっくりいかない感が強かったので引きとめもしませんでした。当時僕は「去るものは追わず」でしたし。

それから数ヵ月後。今でも何が発端か思い出せないのですが、Iが突然辞めてしまいます。S2が辞めて以降も不満は抱えていたのでしょう。しかし、突然辞めてしまうとは思いませんでした。
それもある朝、開店前の掃除中に激怒して、荷物をまとめはじめたのです。その時の言葉だけは覚えています。
「人の人生なんだと思ってんだよ!」
恥ずかしながら僕は今でもその意味が今ひとつ理解できないのです。なぜあの時そう叫ばれたのかが。

Sが復職しました。僕含め5名だったbleuのスタッフは、僕とSとKの3人になりました。
その最悪の状況にbleuの次の時代を担うスタッフが入ってきます。それが杉浦です←おお実名だ(笑)
杉浦が入社して少し経った頃、結局Sは退職を願い出してきます。退職理由は結婚でした。
2003年12月末でSが辞め、その少し後にKも辞めることになります。Kの退職理由は手荒れやその他様々な要因で美容師を辞めたくなったからでした。

Kが辞める少し前に、もうすぐ美容学校を卒業するというのに就職先がまだ決まっていないという子がbleuに面接にきました。通常美容学校ではほとんどの学生が内定しているはずの卒業目前の時期になんで?と尋ねると、どうやら有名サロンを受験して落ちて、それから就活をしていなかったのだとか。
当時のbleuはスタッフ募集してもしなくてそこそこ応募があったので、本来であればそのような学生には慎重にならざるを得ないはずだったのですが、ちょうどKが辞めるタイミングと重なったこともあり採用することに。その時採用したのが加藤です。

今でも悔やむことがありまして。当時下降線のbleuに入りたいと言ってきたある女性スタッフ。採用したかったのに採用できなかった。売り上げ的に給与払える状況ではなかったのです。しかし、本当に逸材、いい子だったのです。それは今でもある意味では僕のトラウマのような強い心残りなんです。

bleuはスタッフが全て変わってしまいました。2004年のことです。僕と杉浦そして加藤の3人で再スタートしたのでした。そうなってしまったのは誰のせいでもなく自分のせいでしかない。つくづく底を味わった気がします。
posted by オガタ at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | bleuの歴史

2009年03月01日

bleu史7

3月です。先日も告知しましたが、今週木曜&金曜日、bleu入居リラビルのエレベーターが工事の為、非常階段からの出入りとなります。どうかご了承くださいm(__)m

さて
大学病院通いが始まりました。様々な検査をします。しかし、左瞼以外の自覚症状もなく、検査も陰性ばかり。
こういう時医者って一生懸命検査をして、どうにか病名を確定したくなるようなのです。
「緒形さん、次はもっと細かく検査できるのでやってはっきりさせましょうか?お金かかっちゃいますが」みたいなことを言ってくるくらい(笑)

ある日こんな検査を受けました。筋無力症ではもっとも一般的な検査、テンシロンテスト。筋無力症は体内の抗体がなんとかかんとかで(^_^;)それで、そのテンシロンテストというテストである成分(抗体?)を注射すると、一時的に症状がなくなるそうなのです。

検査の日、検査用ベッドの周りには研修医がずらり。さすが大学病院。研修医に見つめられながら検査です。
主治医がまず静脈に針を刺して検査準備。その針から最初の液体を注射されました。
すると、一気に左の瞼が軽くなりました!いや、喜んではいけない。軽くなる=筋無力症確定ですから。でも、なんかその時まさしくキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!って感じがしてしまって。

「緒形さん、お気分どうですか?」の主治医の問いに

「はい、瞼が軽いです!」

「緒形さん、まだ食塩水しか注射していません(-_-;)」

え!(^_^;)たらーっ(汗)
その後、本当の薬を注射されると、猛烈に気持ち悪くなってきました。しかし、瞼は変わらず。結局確定診断にいたらず。

半ば困り果てる主治医に僕は「先生、僕ここに来ると気分が病人になります。できれば来たくありません!」と告げたのです。

すると、先生頭抱えながらも「そうだよね。じゃあ何かあったらすぐに来てください。」とあっけなく釈放されました(笑)

どん底だった気分が晴れ、それからしばらくは売り上げも少しだけ伸びて、色々あった心配もクリアできてしまったような錯覚に陥っていました。

今売り上げグラフ見ると2002年7月に当時過去最高の売り上げをあげ、そこをピーク&境に下降線をたどっています。それはある出来事がきっかけで始まった内部崩壊の始まりでもあります。

過去最高売り上げで良い気になっていた僕に、片腕に育ちつつあったSが話があると言ってきました。Sには、独立の際一緒に金持ちになろう!なんて冗談を言ってたり、また片腕として早く育って欲しかったので他のスタッフ以上に気にかけていたつもりでした。

しかし、そのSに言われた言葉にまたまた驚きました。だいたいこういう「お話があります」って時は辞めさせて欲しいって話なのですが、当時のSは売り上げもノリノリで歩合給も急上昇の頃。まさかと思って話を聞くと・・・

「あの、わたし、最近・・・」涙ながらに話し始めるS。
Sは身体の不調を感じ、病院で受けたのだそう。そして診断はパニック障害。
過呼吸になってしまったり、かなり辛い状態に既になっていました。普通なら仕事できない状態でも、Sは仕事量を減らしてどうにか続けたいと言ってきたのです。

Sがパニック障害になる前にも一騒動がありました。ある休日S2から電話が来ました。滅多に電話なんて来ないので何事かと思うと、他のスタッフから嫌がらせを受けたというのです。
聞いてみると「昨日冷蔵庫に入れていたミネラルウオーターを飲もうとしたら変な味がして。すぐ吐き出して、ボトルを振ったら泡立ったんです。絶対洗剤を入れられたんです。Iがやったに違いないです!」
驚きました。S2とIは仲が良い様に見えていたし、Iがそんなことするとは思えなかったし。しかも、そもそもそんな犯罪のような嫌がらせをやることが不思議でしょうがなかったのです。

ひとまず話を聞くだけ聞いて、翌日Iに聞いてみたのです。すると、出るわ出るわS2への悪口が。そして今度は「水に洗剤入れた話はS2の自作自演ですよ」と来ました。普段は穏やかで、お客様に「Iちゃんは癒し系だよね。僕のカウンセラーだよ」とまで言われていたIの言動と豹変ぶりに驚きでした。

とにかくショックでした。そして、ショックはさらに倍増されます。

パニック障害になってしまったSをフォローすべく、スタッフにその協力を仰ごうとしました。Sが休みの際、他のスタッフにSの現状を話し、Sが治るまで頼むといったことを話しました。
当然みんな了承してくれると思いきや、僕の話が終わるやいなや「緒形さんなに言ってんですか?」と言われたのです。一瞬何をこいつらこの状況で言いたいんだ?と思いました。
「Sさんが本気で病気だと思っているんですか?緒形さんは本性を知らないんですよ。毎晩遊び歩いています。バカみたい!」とまで言われました。

IとS2は口を揃えて怒りを表していました。つい先日まで不仲だった二人が、今度はSの病気の話を機に微妙な意気投合(苦笑

もうただただ悲しかったです。ショックを受ける僕を見て、さらにIとS2の怒りは増幅していったようです。

仕事をセ−ブして休みを増やしていったS。同時に売り上げは下降線。店の中もギクシャクしていきます。

それから半年ほど後の売り上げと、当時の通帳残高を見ると、そこで実質bleuは潰れていました。実際は運良く乗り切ったのですが、それもたまたま周りの人に恵まれていたからなのですが。

bleuの前期がここで終わっていました・・・

つづく
posted by オガタ at 10:15| Comment(4) | TrackBack(0) | bleuの歴史

2009年02月28日

bleu史6

勢いありありで今日も!・・・の前にお知らせです。
bleuが入居する町田リラビルですが、やっと、ようやくエレベーターの改修が行われます。3月の5、6、そして9日の3日間。その3日間はエレベーターが使用禁止になり、お客様には外の非常階段をご利用いただくようになってしまいます。
足腰に自信がないかたはうちの若手メンズがおんぶに抱っこでフォローいたしますのでお申し付けください(^_^;)
いずれにせよ、ご迷惑おかけしますがなにとぞご了承ください。

さて、無事オープンしたbleuです。僕とSの二人っきりの営業です。最初の滑り出しはまあまあだったでしょうか?いや、今改めて売り上げ見てみるとかなり上出来でした。当時は何がなんだか分からないでやっていましたから。
目標にしていた売り上げの下限はすぐにクリアしました。そして、4月のオープンから7月には結構良い数字が。そして、9月にはさらにその売り上げを更新してしまったのです。
と言ってもそこは二人だけの営業限界は既に来ていて、早急な人員の確保が命題でした。

当時はホワイトメッシュが流行っていましたね。そして、サンロクマルで非常に大勢の集客ができました。ある意味運が良かった時期です。

結局オープン初年度は売り上げ上がるも、ある意味限界。
そうそう、その年最後の日は1999年から2000年になる日。そうです、2000年問題の日でしたね。

そして、年が明けて新たにスタッフが加入してきます。そのスタッフのイニシャルS・・・って、またSですね。Sがやたら多いのに気付きました。Sの2番手なので、イニシャルはS2にしましょうあせあせ(飛び散る汗)
イニシャルトークしているのは今後微妙な話を暴露するからです

S2が加入し、少しするとアシスタントのIもbleuに入社してきます。このS2とIは年齢も同じで、二人とも有名サロンを辞めてbleuに来ました。そして、今思い出すと仕事も結構できたタイプでした。

bleuは2年目の秋(2000年)を迎え、僕の公約だった初社員旅行に出かけます。行き先はタイです。その2年後には台湾にも行きましたね。懐かしい〜・・・で終わらない事実がこのころからちらちら露呈しはじめます。

bleu3.png

超仲良しに見えた同期二人。S2とIが実は不仲との話が僕の耳に入ってきたのです。僕は「主体性のあるスタッフに」なんて都合のいい主義を掲げてあまりスタッフのそういった部分にかかわっていなかったのです。しかし、表面上仲良しチームに見えていた二人が実は裏では犬猿の仲に。いや、最初は仲良しだったんです。それがいつの間にか。

順調に見えていたbleuの雲行きが怪しくなってきていました。でも、まだ当時の僕は気付いていませんでした。

年が明けて2001年。2月頃だったでしょうか。僕はある休みの日に眼科に行きます。理由は、数年前から眼精疲労が酷くなってきて、左目の瞼が重いからです。眼科で診てもらうと、予想もしない診断が。
「緒形さん、これ眼の問題はないですね。内科、神経科の問題かもしれません。紹介状書きますから、大学病院を受診してください」
せ、先生、それってなんの病気なんですか?
「重症筋無力症です」
ド━━━━(T_T)━━━━ンッ!!
このとき、病名をいまいち把握できなくて、僕はもう死ぬのだと思いました。筋ジストロフィーとかと混同していたのです。
終わったorzと思いながら、ネットで調べてみると、とりあえず死因になる病気ではないことが分かりました。しかし、場合によっては大手術をして、しばらく働けなる可能性もある病気。
もうその時のショックは計り知れませんでした。

そして、そんな時、折も折にbleuはスタッフをさらに増員することになっていたんです。売り上げは思うほど伸びず、増員は悩むところでしたが、また伸びるだろうと安易に考えての採用。

しかし、もしかすると病気での長期離脱が・・・

どうする?さあどうする??

まだまだつづく!

次号予告 大学病院で検査の日々、さらなる内紛、bleuはもう・・・お楽しみに!
posted by オガタ at 09:38| Comment(4) | TrackBack(0) | bleuの歴史

2009年02月27日

bleu史5

物件も決まり、あとは本契約、内装の打ち合わせ、準備するもの諸々、決め事色々、集客の戦略、届け出、看板デザイン・・・って全然「あとは」じゃないんですがー(^_^;)

内装一つとっても単純には決められません。予算もありますし。
その限られた予算がどんどん減っていく!(と、ここで名誉というかあえて書きますが、内装をお願いした東京建装さんのお陰で内装工事そのものはかなり金額が抑えられたのですが・・・)

大きな出費の決断がありました。しかも、その出費自体がどう転ぶか分からない出費。その出費とは、それはオートシャンプーの購入についてです。bleuのお客様ならご存知ですよね。あの機械、1台の価格がトヨタのヴィッツくらいのお値段。しかも、bleuはそれが2台。さらに、オートシャンプーが受け入れてもらえるかも未知数。実際僕が原宿のshimaでオートシャンプーを受けに行ってみた際は正直使いこなすのは厳しいと感じました。
そこで、オートシャンプーのメーカーであるタカラの担当に、ひとまず1台だけオートにして、もう1台は従来のシャンプーでいったらどうか相談したのです。
すると「中途半端が失敗します。事実オートは入れたもののやめてしまうケースが多いのです。やるなら全部、やらないならやらないほうがいいです」と言われました。非常に悩んだのですが、スタッフの手荒れ問題、人手の問題、他でやっていないことなどを考慮したうえで2台導入に踏み切りました。1台だとヴィッツ、2台でホンダオデッセイ1台の出費です←例えが微妙

次に大きな出費がセット椅子。イームズの椅子で揃えるべく、縁あった鈴木氏の自宅へ。鈴木氏、当時は荻窪にある実家に妻子とお住まいでした。伺うと、所狭しと並ぶミッドセンチュリーの品々が輝いていました。
以前から欲しかったお宝を前に興奮気味の鈴木氏から唐突に提案。「緒形さん、美容室の椅子って回ったりするほうが良いんですか?」あ、はい、美容室用のは回りますね。
「だったら良いのがあります。サーリネンのチューリップチェアです。ちょうどもうすぐアメリカで買い付けたのが何脚も船便で届くんですよ」えー!?マジですか?「イームズだと色味が揃わないかもしれないんですが、チューリップチェアなら真っ白に塗装して揃えられますし。値段も中古なので国内価格半値でOKです」
sarinen.png

朗報キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!、ってお下品でした(笑)
早速セット面用にサーリネンのチューリップチェアを6脚発注。そして、それとは別に待ち合い用にイームズをお願いしたのでした。

いよいよオープンが迫ったある日。ついに椅子達がアメリカから届き、僕は鈴木氏の自宅に取りに行きました。そして、自宅に運びこむ、運び込んだら・・・家の中狭っ(^_^;)
家を椅子に占領され、椅子と椅子の間に寝る日々がオープンまで続いたのでした。

同じ頃、サンロクマル(現ホットペッパー)の担当柴田さんと打ち合わせ。先日も書きましたが当時のサンロクマルはまだマイナーで、ルールもゆるめだったのですね。そして、毎号紙面巻頭には様々告知が可能でした。その告知コーナーに僕は大胆なアイディアを提案します。

さて、ようやく見えてきたとはいえ、僕にしてみればもうキリンがないbyじゃがりこ!なくらい首を長くして待ったオープン(笑)
その日を確定させなければいけない時期になっていました。僕は内装工事が終わって間もない大安に何が何でもオープンと思っていたのですが、東京建装さんになんといきなり驚きの駄目出しをいただいたのです。
「緒形さん、その日大安なのですがさんりんぼうで、店のオープンには適していません」
な!な!なんとorz 東京建装さんが言うのだから確かに違いない。事実、今ググってみたら、さんりんぼうってある意味怖いたらーっ(汗)

ということで、オープンを数日ながら延ばす羽目に。う〜ん、もったいないなー。

あー!そうだ、普通に営業しなければいいんだ。だったら、無料でやればいいや!←半分馬鹿になってます
そして、本当に無料で2日間営業することにしました。その無料営業告知をサンロクマルの柴田さんに提案したのです。今なら絶対あり得ない提案も、当時はウェルカム!巻頭に堂々と「2日間全メニュー無料です」と告知。

そして、肝心なサンロクマル本誌のbleu一発目の広告。今手元探してももう見当たらないんですが、かなり笑える広告なのです。僕が今も店内にあるDJブースと一緒に写っている写真を載せたのです。しかも、撮った頃はまだ内装が出来ていない一月前。場所は自宅。しかも真顔でポーズ(笑)いや、これは仕方のないことだったのです。サンロクマルの入稿締め切りが一月前ですし。また、万が一どなたかお客様が見てくださったら、僕を見つけてくれたら。そんな思いでこっ恥ずかしい撮影に挑戦。

さてさて、どうにか形になりました!いよいよbleu無料営業、プレオープンです。無料営業は完全予約、電話による早い者勝ちです。
10時受付開始!のはずが、もう10時前から着信が止まりません。電話鳴り止まず。おいおいうちはチケットぴあかよ!←やっと予告のシーン

もうぶっちゃけちゃうと酷かったですね(笑)電話鳴りすぎ。←言いすぎ
中にはブチ切れながら「今から行くわよ!何が何でもやってもらいますからね!」と意味不明の宣言をしてきた方もいました。その時既に受け付け終わっていたのにもかかわらずです(笑)
ひとまず受け付けると決めた人数が埋まるまでホント数分。あとは受付終了と詫びるのみ。
お客様がご来店し始めるともう電話にも出れず。仕方がなく留守電でお詫びを流す始末。
とは言え、2日間のプレ営業は盛況に終わり、同時に僕とアシスタントのSのオペレーションの確認もとどこおりなく、本番の営業に突入するのでした。

後日談ですが、無料営業で来られた方はほぼリピートしませんでした。気合十分の電話をしてきた皆さんはきっと無料だからってだけで必死に電話してきたのですね。
一方で嬉しい誤算が。それは、無料営業の受付電話をした際に、既に受付終わっていたけれども、そのお詫びの時に僕らの「感じが良かったので無料じゃないけど来てみました」という方が何人もいらっしゃったこと。逆にそういう方は顧客になってくださいました。

人生何が起こるか分かりませんねー

さてまだ続く!次回予告 人生何が起こるか分かりません!そのまんまやん お楽しみに!
posted by オガタ at 10:18| Comment(7) | TrackBack(0) | bleuの歴史

2009年02月26日

bleu史4

勢いのあるうちにどんどん行きます!

結局僕は物件3件目のSビルの竣工まで浪人を決意しました。その間働くことも出来ず、当時共働きだった奥さんの帰りを毎夜待つ日々。ところが、来る時は一気に色々来るものです。なんと来たのです。何かが・・・

何かが来ました。というか「あれがこない揺れるハート」というほうが正しいのか?(笑)
出店準備を開始した矢先、うちの奥さんが妊娠したのです。
その時からさかのぼること半年ほど前、そろそろ子供欲しいかも?と思っていた僕ら夫婦。毎月のように「もしかしたら?」と妊娠検査薬でチェック。うっすら浮かぶ検査薬の妊娠マークに喜ぶのもつかの間。毎度毎度まぼろしに終わっていたのでした。
そして、僕がいよいよ出店準備を迎えるにあたり奥さんにこう言ったのです。
「出店でかなりどたばたしてしまうと思うから、子供は1年後くらいに。しばらく休みというか様子見しよう」
うちの奥さんの友人達はなぜか妊娠しやすのかなんだかで(ある友人は3人いる子供の受精日が分かるくらい100発100中らしい)、すぐに子供は出来るとある意味思い込んでいた奥さんはほんとに少しだけですけど落ち込んでいました。

そんな矢先、もしかしたら?と思ったのは僕の方でした。奥さんに「検査薬やってみようよ」と言うと、奥さんは「また違うんじゃないの?と。
ところがどっこい、今ままで見たことない(当たり前)くっきりとした妊娠マークが現れました!いやービックリ。喜び&ビックリしつつも、え、俺無職だよあせあせ(飛び散る汗)

さて、もうこうなったら前に進む以外ありません。

stbl.jpg
Sビルが春めいて来るとともに出来上がりつつあります。既に契約の内諾を頂き、東京建創さんと内装の打ち合わせの日々。
あれを準備して、これを見に行って。最初は楽しかった。今まで欲しくても手が出せなかったモノが買えるのですから。それもいつしか飽きてくるというか冷めてくるんですよね。飽き性だからだと思うのですが、妙な感覚でした。

時間があるのを良いことに、家具屋、雑貨屋巡りしまくりました。bleuオープンの際にはイームズ(EAMES)の椅子をセット面に採用することに決めていました。当時破竹の勢いだったあのアクアと同じタイプ。はい、ある意味真似になっちゃいますね(汗
ところがどっこい!探し始めてビックリ。イームズの椅子もう廃盤だったんです。そもそも、イームズの椅子は50年も前のデザイン。じゃあなぜアクアがずらっとたくさん並べていられたかというと、モダニカが復刻して売り出した時期に購入したからだったのです。ですから、もうない。困りました。

ちなみに、美容室の椅子って皆さん幾ら位すると思います?通常15万円くらい。最近では安いと5万円、高いと20万円以上とピンきりです。そして、イームズの椅子の場合ですが、だいたい7万円くらいが今も昔も相場です。最近また復刻されてもっと安く出ているイームズもありますが、こちらは素材がかなり異なります。

家具屋めぐりの日々、困った僕はなぜか横浜のフリマに向かっていました。フリマに行くのは初でした。だって今まで美容師していて、フリマのある土日に休んだことがないから。
フリマに行ったのには理由があって、イームズの椅子が出ている可能性があったからなのです。
そして降り立ったフリマ。興味をそそるブースが数多くある中で、目に留まったブース。そこにありました、イームズが。色や形は求めていたものとは違えど、あるにはあった。
eam1.png

売主のお兄さんに早速話しかけてみた。すると、なんとその方少し前までモダニカでバイヤーをしていて独立したばかりなんだとか。モダニカで売られていた椅子をアメリカから仕入れていた方で、まとまって納品も可能とのこと。しかも、まだ独立したてだそうで、そのせいか椅子を卸値で売ってくれるとのこと。もうこうなったら話は決まりです。

また同時期にもう一人の方と打ち合わせを。サンロクマルという雑誌の編集者の方です。
皆さんサンロクマルって知ってますか?知らない方多いのではないでしょうか。では、ホットペッパーなら知っていますか?
実は、サンロクマルとはホットペッパーの前身です。名前がまだ違いました。そしてまだ全国でも限られた地域でしか配られていませんでした。その編集者さんと、新規オープンに際しの打ち合わせです。

打ち明け話ですが、今ホットペッパーに広告掲載するのってルールが細かくて面倒な制約多いのです。しかし、サンロクマルの時代はゆるかったのです。お陰でbleuはオープンの時に面白いことをやってしまいます。そのことはまた後で。

竣工間近のSビル内部。
DSC00016.JPG
窓の外には再開発で長年の歴史を終えたTONANデパートの看板が見えますね。
新築ビルであるSビルでは、上記画像のように一度申請済みの内装工事を行わないと完成検査が受けられません。この後もう一度内装を壊して、再度工事します。


またまた長々とご覧頂きありがとうございます。

あらためて書いてみて、とにかく大勢の人に支えられてここまで来れたのが、まだbleuオープン前でも分かります。

次回予告 ついにbleuオープン・・・のはずがオープンできず。「うちはチケットぴあかよ!」をお楽しみに!
posted by オガタ at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | bleuの歴史

2009年02月25日

bleu史3

さーまだまだ続けますよー!

さて、再開発地域で見つけた竣工間近のビル。そしてすぐ近くの不動産屋に連行された僕(笑)
ビルの概要を聞く。なるほど確かになかなか良さげでした。東京建創さんにお願いして物件の確認に立ち会ったもらうことにしました。すると、立会いの際に運良くそのビル(Aビル)のオーナーさんとお会いできたのです。
ここはと早速ご挨拶をすると「どういう店になるのかな。どのようにしたいのか聞かせてもらわないことには話がね・・・」と言われたんです。
要は、まずどんなことするのか聞かせなさい。そういうことのようなのです。物件借りるのにそこまでするとは正直考えもつかなかった。でも、一件目でコケている僕はすぐさま企画書を作成。
さらに、Aビルオーナーの住所を調べたのです。じっとしていられずに、出来上がった企画書を直接持って行くことにしたのです。確か東京は大塚だったでしょうか?町田から1時間の道のりを、企画書を持って大家さん宅へ突撃。が、大家さんは留守。しかたがなく企画書をポストに投函して、入居の可否を待ったのでした。

そして、何日か後。入居について問題なしとの回答。というか、企画書まで必要だったのかその時点では分からず。あの挑発的な大家さんはなんだったのか?(^_^;)
ということで、再度東京建創さんと内装のプランニングのために現地調査することになったのです。

ところが!その時に大問題発生。「緒形さん、このビル調べると電気容量が少ないんですよ。美容室の営業できるかギリギリかもしれません。」と東京建創の担当Tさんの話にがっくしバッド(下向き矢印)再度の現地調査の際に、ちょうどのタイミングでAビル大家さんの息子さんとお会いした。その息子さんといっても僕よりもかなり年上の方は、そのAビル1階でレストランをやる予定だったのです。bleuは2階に入居予定。
レストランの内装工事の打ち合わせで来ていたようなので、TさんがAビル1階の内装業者さんに話を聞くことに。するとさらに驚きの事実が発覚。
聞いたところ、ビル自体の電気容量が少ないにもかかわらず、その多くを1階のレストランで使用することが既に決まっているのだそう。そもそも1階は実質オーナーさんですから好きにできますよね。それにしてもじゃあいったいどうすりゃいいのか。もう茫然自失ですよ、ホントに。

美容室はご存知の通り電気使用量が結構多いのです。ドライヤーやその他、1台でかなりのワット数の電気機器を多数使用します。裏技を考えようにもほぼ無理。そもそも、ビルの方向性がその時点でなんと怪しいというか、疑わしいというか。大家さんが他の店子(たなこ)のことを考えているように思えない物件じゃあないですか?
結局紆余曲折を経て、またまた物件を諦めることに。
余談ですが、Aビルではbleuと同時に入居決めていたIT系のオフィスも電気容量の問題で撤退していました。

またまたフリだしですよ。ねえ。どうしましょう?

そんな時、Aビルと同じ並びでさらに駅に近いSビルの募集が。
DSC00008.JPG
↑この画像は随分と後です。募集を見つけた頃はまだまだ形が見えない頃です。

Sビル、家賃は駅近の為にぐっとお高く、さらに何より竣工が春。僕はそのある意味二重苦を飲むか飲まざるかの決断をしなければいけなくなりました。竣工を待てば、少なくとも3ヶ月以上、退職してからでは半年のブランクになってしまう。そして僕以外にも迷惑をかけることに。

前の職場での人脈を全て切ると以前書きましたが、辞める頃当時の後輩がついて来たいと言い出しました。僕としては全く面識のない人間を募集しようと思っていたものの、その名乗り出てくれたスタッフSの能力は買っていただけにありがたさ半分悩み半分でした。
あからさまなことはしたくなかったので、前職を辞めることと僕のところに来ることは切り離して欲しいとSには言いました。そしてSはbleuに来る来ないは別として、僕が辞めてほどなく退職をしたのでした。そのSも結果僕と同じく浪人生活になってしまったのです。

bleuにオープン当初から来られているお客様はSのこと覚えているのではないでしょうか。当時流行だったホワイトメッシュをがっつり入れて、街を歩くとキャバクラのスカウトが「お店変わる気ない?」と決め付けられて話しかけられるようなルックスのSです(爆)
しかしそのS、bleuオープンまでの数ヶ月、聞くところによると弁当工場でしば漬けをひたすら盛り付けるバイトをしていたとか。全然似合いませんよね(笑)

結局僕はSビルの竣工まで浪人を決意しました。その間働くことも出来ず、当時共働きだった奥さんの帰りを毎夜待つ日々。ところが、来る時は一気に色々来るものです。なんと来たのです。何かが・・・

次回予告何かってなんだ?←意味不明
posted by オガタ at 09:59| Comment(2) | TrackBack(0) | bleuの歴史

2009年02月23日

bleu史2

bleu史その1を読み返せば、いやー誤字どころか文法ぐちゃぐちゃ。麻生総理と同じ誕生日血液型なんで許してね(笑)
めげずに続きです!

前の職場を辞め早速動き出そうと不動産屋に出向く。内諾されていた物件を契約する方向で話を進めたいと告げるも、なぜか歯切れが悪いんです。契約の時期や賃料など、とにかく明確な答えを避ける。そして、回答の時期も曖昧、ぼやかす。
不安ながらももう動き出していた僕は、新規に取引をお願いした美容材料ディーラー(以下ディーラー)の神奈川支社長と、内装工事を頼むかもしれない大手業者に内見をお願いしました。

前の店を辞める際、とにかくそれまでの関係を断ち切りました。いや、切るというよりは頼らなかったというほうが正解でしょうか?
普通の独立では、それまでの人脈を活用するのが近道であると思いますが僕は同じ町田市内で独立することもありゼロからスタートを選びました。
ディーラーは全く知らない、取引経験のないところ。顧客も連れて行かず(行けず)。そしてスタッフも前の職場から連れて行ったりせず、とにかくゼロに近い状態からスタートすることを選びました。
まず手始めにディーラーに電話しました。ディーラーからパーマ液やカラー剤を仕入れないと営業できませんし、さらに美容室はディーラーともっともっと密接な繋がりを持ちますから。
電話するきっかけ。それは前の職場に送られてきていたディーラーからのDMを見たことがあったから。それだけでした。
全く取引実績も何もない僕が電話すると、運良く今や日本でも最大手になったディーラーの神奈川支社長直々にお会いしてくれることになりました。初対面の際、なぜか思いっきり僕の生い立ちまで話してしまいました。それくらいある意味意気投合し、取引を快諾いただいたのでした。

ディーラーの支社長と内見した際、同行してきた不動産屋の女性スタッフ。町田では古参の不動産屋の跡取りらしき方。この女性がなんだか物言いがなんともずけずけというかズバズバというか。僕としては若いからなめられているような気もしてちょっと気分が良くなかったのです。
そのことを内見した後にディーラーの支社長に打ち明けると「いや、彼女は実は正直なのかもしれないね」と意外な見解。
でもそうか!?なるほどと思いました。僕は人を見る目がまだまだないな、と痛感もしましたが。

内見の後も不動産屋と大家はなかなか契約にGOサインを出そうとしない日々が続きました。毎日にように電話を入れているうちに、思い切って「はっきりとしていただけませんか?」と女性スタッフに言いました。すると意外な答えが返ってきたんです。
「実は緒形さんとの話があった際に大家さんも乗り気だったんです。でも、そのすぐ後にあの建物のあたり一帯の再開発の話が舞い込んできまして・・・」
さらに突っ込んで聞けば、既に事実上僕との話は終わっていると。なんと、なんと急転直下。あっけない幕切れ、一発目の物件の話はこれにてお流れ、終了(涙
(このときに、やはりあの女性は確かに正直な方だったんだなと実感しました)

気を取り直して(早 物件探しの日々が続きました。
しかし、ここで一つ壁が。それは、前の職場のある町田の繁華街側ではないJR町田駅の裏側での物件が皆無であったことなんです。
非常に悩みましたが、結局半ば止むを得ず繁華街側で物件を探すことになりました。とは言え、繁華街側では家賃も高く予算に合う物件はほとんどありませんでした。

この頃、ディーラーの次にもうひとつなくてはならない業者さんとの出会いがありました。それがbleuの内装工事をお願いしてきた東京建創さん。10年前だなーと、しみじみ思い出されるのが、その出会いの素。今なら恐らくネットになるのでしょうけど、その時はNTTのタウンページだったのです。しかも石原良純の紹介で←暴走しすぎです(笑)
それ以前にディーラーから紹介された大手内装デザイン会社と、個人の内装屋さん2者。その2者のどこか違和感を感じて、開いたタウンページでした。電話して「いますぐお会いできますよ」と言われ、すぐさま飛んでいき、長々と現状を聞いていただいたのでした。

当時の町田の街並み、町田を知る方々は覚えていますでしょうか?
今町田109があったあたりは古い仲見世商店街でした。そして、109前を通る道路はまだ影もなく、一帯は住宅地だったのです。
ちょうどその道路計画や再開発が本格始動したのがその10年前だったのです。

僕はそのまだ道でもなく、ところどころ家が立ち退いてまだ混沌とした感じの一帯を歩いていた時に、間もなく竣工しようというビルを見つけました。
stb.jpg
ビルを見上げている僕に、ビジネスモード全快のおば様が駆け寄ってきました。
「ここのビル気になります?なります?じゃあ、さーどーぞどーぞ」とすぐ近くの、そのおば様の経営する不動産屋に連行されていったのでした(^_^;)

まだまだつづく
これだけ書いて、まだbleuオープンもしていません(笑) 


次回予告
いよいよ物件決定!のはずが、え゛!聞いてないよー&浪人生活の始まり。
posted by オガタ at 09:59| Comment(2) | TrackBack(0) | bleuの歴史

2009年02月22日

bleu史

先日偶然net上で再会した同級生、旅館の女将に偉そうにもメールしました。そのメールのなかでこんなことを書いたのです。
「良く出来たHPや広告のコピーには物語がある。だからHPに旅館や家族の物語を入れたら?」
なんてことを人に言う前に、bleuの物語を。そうだ、ここらで色々もろもろ整理しておこうと思い立ちました。また今日から新シリーズです(またかよ
bleuの歴史、題してそのまんま「bleu史」です。知っている人も知らない人、暇つぶしにご覧頂けたらと思います。では唐突にスタート。

今から11年前、平成10年。僕緒形は町田の美容室で働いていました。銀座の美容室を辞め、その後半年色々あって(後で多分書きます)働き始めて4年半。その町田のサロンではしばらく&とりあえず売り上げ1位を続けていました。

元々は美容師になる気はなく、ヘアメイクになりたかったのが方向転換して美容師に本腰を入れるようになり、そしていつしか独立したいと思うようになっていました。でも、実際に独立するなんてたいそうなことと具体的にはノープランだったのです。

しかし、ある日JR町田駅のすぐ脇にあった古い建物の「入居者募集中」という看板を見て突然振って沸いたように「あっ、独立しよう」と思い立ったのです。まるで「そうだ京都に行こう」くらいの勢いというか軽いノリで(笑)
そこからすぐに当時のサロンの経営者に打ち明けました。その際に出店地が駅を挟んで反対方向の栄えていない地域とはいえ、同じ町田に出店ということで、僕は顧客を連れて行かない、顧客に伝えないという約束で辞めることの許可を頂いたのでした。それが恐らく9月頃の話だったでしょうか。

例年美容室は12月に忙しく、さらに年明けの成人式とイベントが続くことと、最後のボーナスをもらいたかった僕はそこから年明けの成人式が終わるまで勤めることになった・・・のですが、ある日ふとしたことから経営者から誤解されて、早期に辞めさせられるのです。

その誤解とは。僕は独立すべく辞めるが全て未定ですとお客様に伝え、ひっそり辞めるつもりで毎日挨拶をしていたんです。
すると、お客様はこう言ってくださるんです「お店の場所決まったら必ず教えてくださいね」と。
そう言われたら教えてあげられないけどその場しのぎでもちろんって答えますよね、普通なら。その会話を立ち聞きされてしまったのです。経営者は「客引きするならすぐ辞めてもらうぞ」と怒りだす始末。急に辞めても困るので、僕は経営者に「(経営者に)誤解を与えないようにお客様には辞めることさえ言いません。黙って辞めればいいんですよね」と言い、その場をおさめたのです。しかし結局その後すぐに「緒形君もう今月末で辞めて。店の業績が良くないから」と言われ11月で退職しました。もちろんボーナスまでまだまだ先で、あてが完全にはずれてガッカリ。

その時見た夢が今思うとかなり笑えるんです。

経営者「じゃあ今年のボーナスを支給します。今年のボーナスは袋を開けると分かりますがくじ引き方式です。あけてからのお楽しみです!」
えー!?なんだよそれー。と言いつつ最初のスタッフが受け取って開封。すると中には「ハワイ旅行」とか書いてあるんです。それを見て、意外と良いかも、ありかも。なんて思ったところで僕の番。
そして受け取り封を早速開けてびっくり中に書いてあったのが「はずれ」たらーっ(汗)
ある意味正夢に驚きました。

11月で辞め、ボーっとしている訳にもいかないので早速出店準備開始。既に目当ての物件については不動産屋と大家に内諾をもらっていたのであとは融資などをどうにかすればいけると。いけると思ったら大間違い。全ての目論見がここでも崩れる羽目に・・・

その事態とは?次回へつづく

次回予告 不動産屋と大家、見え隠れする地上げの噂。次回をお楽しみに!(^_^;)
posted by オガタ at 09:43| Comment(8) | TrackBack(0) | bleuの歴史